今日は人生で5回目くらいに池袋に行ってきました。ジュンク堂本店で福岡伸一先生の出版記念レクチャーがありました。昼間Googleで新しく出た「フェルメール 光の王国」を検索していて偶然発見。今日じゃん!
面白いレクチャーを聴いて本にサインをもらって、大満足。でもね、ポイントはそこではなくて、ジュンク堂本店がとても良い本屋だったことですよ。さすが本店。理工や歴史教養系の本が大量にあって、通路を歩いているだけでワクワクしました。
最近の私は買った本を読みきる自信が全然ないので、出来るだけ図書館を利用しようと頑張っています。

最近の本の入手プロセス:
どこかで著者や本のタイトルを見る→アマゾンで検索してレビューを見る→図書館のサイトで検索→見つからなかったらアマゾンか本屋さんで買う

図書館を利用し始めて顕著に感じることは、図書館の開架の構成自体が検索を前提に変わってしまったということです。どういうことかというと、以前だったら各自治体ごとに「中央図書館」というものと「分館」というものがあって、分館に探している本がなかったら大抵中央図書館に探しに行く、という構図。つまり、中央には一通り網羅的に大量の本があり、分館はどれも同じような満遍のない書棚の構成だったはず(同じ雑誌がどこの分館にもあり)。
ところが最近気が付くのは、各分館ごとに得意分野があって、本が偏在していることです。 ビジネス書を借りようと思うと、それは区内の特定の図書館にいつもあります。家の近所は理工書やCDが充実しているらしく、逆に図書館に行ってみても小説なんかが少ない。子供の頃のように小説の書棚を左上から順に眺めていって、面白そうな本を順番に借りる、なんてことが出来なくなってきているのです。検索して取り寄せるのが前提になっているから。図書館でセレンディピティ、というのはもう過去の話かなという気がしています。

いくらアマゾンでオススメ機能が発達しても、やっぱり探さないと発見は出てこない。欲しい本がある程度分かってないと買えないんですよね。
今日大きな本屋さんに行ってみて改めて、誰かが意図的に集めて作った本棚はいいな〜と実感(福岡先生の選んだ本のコーナーがあり。OAZOの本屋さんもいいんだけど、洋書売り場以外ちょっとテイストに合わない気がする)。自分が普段なら探さないような本が沢山あって、発見がありました。もちろんアマゾン内のオススメブックリストなんかは可能なんだけど、やっぱり違う。

Kindle Fireも出て益々eBookと騒がれるいま、とてもノスタルジックなのは自覚していますが、この「検索とアナログのバランスと狭間」をどう見極めるかというのをつらつら考えています。
アメリカではもう本当に書店がないんですよ!いつもNYに行くと寄っていたWall StreetのBordersも無くなってしまったし(Central Park SouthのショッピングセンターにBarnes&Nobleがかろうじてある)、Bostonに行ってもBordersの抜け殻ばかりが目について、ついに小さな書店を1軒見かけただけでした。もちろんAmazonは便利なんだけど、でも日本人の書店好きはずっと維持されて欲しい、と切に願うこの頃。(やっぱりAmazonが日本では値引きしてないからだろうなー。とは思いつつ。)

おまけ
先日OAZOの丸善でカバーに惚れ込んで買いたくなった小説たち

 いや、Emersonは今読みたいと思っているところ。

以下は今日見つけて読みたいと思い、パシャッ。本屋さんで写真を撮り、常に周りの人に白い目で見られる。池澤夏樹さんの文学の本。

それから、福岡先生セレクションコーナーの面白そうな本たち。これから図書館で検索するのだけれど。でも2冊はちゃんと買いました。やっぱり本をちゃんと買って文明の存続に貢献しようという気持ちになってしまう。