今日はとりとめの無い話で。
最近ブログをさぼってますね。良くない。出来るだけ頻繁に書いてアウトプットをすることを目標にしているので、ブログのネタが思いつかずに過ぎていくのはインプットが少ない裏返しとも解釈できて、由々しき状況です。
それに加え、このところどうも自分の歯車が噛み合っていない感じがしています。この歯車の噛み合なさは失敗ばかりする時にも感じるのですが、今回はなんか違う。失敗する時と言うのは歯車がキシキシして火花が飛んでいる様子。今はこう、中くらいの歯車がどこかに行っちゃって、大きな歯車がいつまでたっても回って来ない感じっていうのかな。昼間の仕事が大きな歯車だとしたら、amirisuは小さな歯車で、その間を繋ぐものが外れちゃっているので、小さな歯車ばかり全速力で回っているとでも言いましょうか。
どこかの草むらに部品、落としてきちゃったのかもしれません。
前職では海外のオフィスの同僚と仲良くなるケースが多くて、転職した今では友達として親しくしています。いつも電話で打ち合わせをする癖がついていたので、たまに30分くらいSkypeをしたり、日本の友人よりも下手するとよく喋ってるのではないかと思うくらいです。そんな1人が今来日していて、昨日夕飯を一緒に食べてきました。
彼と編み物の話をしていて(いつも誰とでも編み物の話はするのですが、だって訊かれるんだもん)、私が「PCが立ち上がるまでの1分間が暇だから1段編む」と言ったのにビックリしたらしく、それで気がついたんです。
編み物を始めてから、私の時間の感覚が変わったのだな、と。
自分の時間の最小単位は2、3秒になった。
これはどういうことかというとね、2、3秒あれば、編みかけのものを手に取って2目くらい編むことができるんですよ。
1分だったら50目くらい、もしかしたら70目。
編みものとは、0.7秒の行為 x 数万回 から出来ているんです。
Every second counts.
毎秒がゴールに近づく1歩です。
しかも手を見なくても編めると来ているので、テレビをみていて画面が切り替わる間とか、パソコンからプリンターにファイルを送っている間とか、とにかく私には隙間の時間がありません。だから編めているんだと思います。
だからね、駅で電車を待っている間、会社で退屈なミーティングの間、PCがフリーズしている間、たとえミーティングが退屈じゃなくて相手と議論していたとしても、ノートを取っていない限り手持ち無沙汰でしょうがない。読書をしている間でも手は使えるので、編んだりします。
以前はね、例えば本だったら、1秒あって7、8文字読めたとしても意味がないですよね。頭の中でなにか意味をなさないと読んだってしょうがないから。だから読書だったら、時間の最小単位は数分だったと思うのです。「あ、待ち時間が5分あるなら1ページくらい読むか」みたいな。
だからこれは、編みもの中毒、という話ではなくて、時間の感覚が変わってしまったという話だと思うんです。元々私、とにかく隙間時間が無い人間だったので、編み物じゃなくたって何かはやっているんです、常に。
といったことを昨日ふと考えたのでした。
さて、amirisuの作業に戻りま〜す。