Village life is the new luxury.
Handmade is the new trend.

何年か前から疑ってはいたのですが、近ごろ上の2文が現実味を増してきました。

 

 

萩原規子さんの勾玉シリーズ(ファンタジー)を読んでいます。

会社で色々勉強しなければならない課題があるので、現実逃避ですけど、あまりにも面白い逃避行。

日本の歴史のなかで一番好きなのは平安時代で、このシリーズはそれ以前の神話時代から平安あたりまでが出てくることもあり、内容自体とても興味を惹かれています。だったらファンタジーじゃなくて歴史の文献を読めばいいじゃないか。と言われる向きもあるかと思います。考えてみると、この時代とても文献が少なくて、やはり想像で補うしかない。この時代の人々がどのように世界を捉えていたか自体が、現代の私たちからみるとファンタジーではないか、とも言えます。

 

 

「大地の子エイラ」シリーズを読んだことがあるでしょうか?クロマニョン人とネアンデルタール人が共存している社会で生きる女の子(途中から母になる)が主人公の、クラッシックスとも呼べるファンタジーシリーズです。これも想像でしか描きようがない世界ですが、だからこそとても惹かれます。

世の中の読書家の方々を大別すると、ファンタジーや小説を好んで沢山読む人と、ノンフィクション以外は殆ど読まない人に分かれる気がしています。これからの私たちには益々想像力が大事になってくると思うので、私はファンタジー仲間が増えるといいな、と密かに目論んでいます。

 

 

今このシリーズを読んでいて、一番心に迫るのは、実はこの古代の生活のしかた。

村での暮らし、すべて知り合いが手作りしたものから出来ている生活、徒歩か馬での移動。

もちろんですよ、世の中は今以上に不公平であったと思うし、生活に大変なところは沢山あったと思いますけど、みんな同じ条件だからしかたない。唯一私が耐えられないかもしれないと思うのは、女性が勉強する機会に恵まれなかったことかも知れません。

 

 

それにしても、よくSFやファンタジーで、世界が滅亡してそのあと生き残った種族の話とかあるじゃないですか。なぜその人々が原始的な生活をしていることが多いのか、常々不思議だったんですよ。脚本家や作家がどうしてその設定を選ぶのか。

 

 

 

話は変わって。

私は海外の歴史小説も好きなのですが、18世紀、19世紀イギリスが舞台の小説などを読むと、大抵貴族は1年の大半を田舎の邸宅で過ごしているわけです。都会のごみごみしたところには1年のうち数ヶ月だけ暮らして、大部分は田園での生活。これがラグジュアリー。

ロンドンに豪奢な邸宅を構えている人々が選ぶのが田園での生活。

そして前職でNYに出張に行ったりすると、気づくわけです。上の人たちは大抵NJやもっと南に住み、下手すると2時間かけて通っている。都心には住んでいないんですよ。田舎の邸宅でワイナリーに囲まれて暮らすような。

 

 

 

繋がっている気がするんです。

私たちの現実の都市生活。ファンタジーとして夢見る田園の生活。200年前から都市生活をしてきた国の人々が田園に憧れる気持ち。日本でいま増えている新しい働きかた、田舎での暮らし、Iターン&Uターンの選択。

 

もう都会に住むことに飽きちゃったんじゃないだろうか?

 

テレビを見るのにも飽きたし、お店に行けば何でも安く買えるにも飽きたし(たまに「良くこんなに質の悪いものを大量に作ってしまったものだなー」と感慨深く、落ち込むことがある)、窓から見える景色にも、便利なのも、満員電車も飽きた。毎日夜中まで働く人生にも飽きた。人工的なフリルやキラキラ、不健康な白い肌にも飽きた。

祖父母や両親の世代からこういう生活をしていた私たちは、もう都会でのきらびやかで便利な生活に、当然すぎるのか、なんのトキメキも感じられないんじゃないだろうか。

 

冒険心が全然掻き立てられない。

小さな村で、家を直しなおし暮らす生活。見よう見まねで道具や衣類を作り、食べ物を作る生活。山の静けさにジャズが流れる午後(文明を全部捨てる必要はないものね)。

 

それが新しい贅沢であり、冒険なんじゃないかと、そんな気がしてるのですよ、このごろ。